【親父の背中】「まだ死ねねぇよ」最後に交わした言葉を心に。親父と会話した5回目の命日。

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ぼくの親父が他界してから5回目の命日。

まだ20代だったぼくも気づけば30代。人生の折り返し地点が見えてきました。

酒好きで、家族想いで、母ちゃん大好きで、人望の厚かった、最高のクソ親父。

30代なかばにさしかかっても、いまだに親父の背中を捉えられない。

親父の背中を捉えて、親父を越えていくこと。ぼくが行きていく上での、生涯の目標なのかもしれない、なんて思ったりしてます。

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三回忌以来行ってなかった墓参りに行って親父と会話してきました。

最高な『クソ親父』。お墓の前で思い出を振り返る。

親父のことを思い出すと、

  1. 酒好き
  2. 家族想い
  3. 母ちゃん大好き
  4. 人脈の広さ

という4つのワードが記憶とともに蘇ります。

なんてことはない、その辺にいくらでもいる『普通の親父』の話です。

今日は回顧とともにクソ親父に文句のひとつでも言ってやろうと思います。

《酒好き》飲み会で際限なく飲み続けるやっかいなクソ親父。

ビール、ウィスキー、日本酒…とアルコール入ってればなんだって飲むんじゃないかってくらい酒好きだった親父。

しかも、タチが悪いことに飲みに行くとセーブしない。際限なく飲み続けるクソ親父。

仕事終わりに終電がなくなるってわかってるのに飲み続ける。

最寄駅までの電車がなくなって、途中の駅で力尽きることもしばしば。

「電車がなくなったから迎えに来て」

24時を過ぎた電話で何度起こされたことか。

車に乗って、ときには単車でお迎えにいく。

26歳になって地元を離れて。湘南地域に移って以降はお迎え要請コールはなくなりましたが…。

息子にどれだけ甘えてるんだ。

いま思い返すと『息子が迎えに来てくれる』ということが嬉しかったのかもしれません。もう確認することすらできませんが。

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際限なく飲み続ける遺伝子はしっかりと受け継がせやがって。おいクソ親父!必要ない遺伝子残したせいで飲んだっくれになっちまったじゃねーか!

《家族想い》仕事があっても家族をほったらかしにしない。

酒好きでやっかいなクソ親父ですが、家族想いのいい親父でした。

外でどれだけ酒を飲んだっくれようとも、決して家では飲まない。家で飲むと母ちゃんが嫌がるから。母ちゃんが嫌がることは絶対にしない。

ちょっとカッコイイ。

確認したことがないので、正確な年齢はわかりませんが、45歳くらいを超えるまでは不定期休みだったはず。夜勤も土日出勤もあるような仕事です。

ぼくたち子どもが休みの日でも、親父は仕事がありましたが、よく仕事場に連れて行ってくれました。

中学生になって部活がメインの休日に変わるまで、特に小学生のときは、よく仕事場に連れて行ってもらいました。

会社の人たちとのバーベーキューとか海への旅行とかにも連れて行ってもらった記憶があります。会社の人たちにもたくさん遊んでもらった記憶があります。

おかげ様で、幼少期は同年代の人と一緒に過ごす時間よりも、大人の人と一緒に過ごす時間のほうが多かったです。だから友達少ないんじゃないか?

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親父の仕事場に遊びに行ったり、大人と接する時間が多かった幼少時。おいクソ親父!家族と一緒にいるのが当たり前ってハードルの高い基準を刷り込みやがって!難易度高すぎじゃねーか!

《母ちゃん大好き》一言目から「かあちゃん心配させんなよ」スタート。

湘南地域で生活を始めてから、実家に帰ることも少なくなりました。

年に1〜2回帰れば多いほう。同じ県内ですが。

仕事も昼〜深夜の時間帯がメインだったので、母親から連絡があっても出れなかったり、折り返しも入れなかったり、ということもしばしば。

そんなとき、決まって親父からかかってくる電話の一言目は「かあちゃん心配させんなよ」でした。

「かあちゃん心配させんなよ」って電話で一通りの会話が終わってから、最後に付け加える一言だと思ってたんですけど、ぼくのクソ親父は『一言目』

当時は「かあちゃん心配させんなよ」って、久しぶりに連絡ついた息子だぞって思ってました。

違いますね。

親父が一番好きだって言える人を、ただ全力で大事にしてただけだったんですね。

歳をとっても冷めることなく。

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おいクソ親父!親父がかあちゃん大好きすぎたおかげで恋愛の基準があがっちまったじゃねーか!息子は軽い気持ちで付き合うとか、浮気とか、一生できない体質になっちまったぞ!

《人脈の広さ》業界の知り合いの多さ、人望の厚さは超えるべき高い壁。

昔から、やけにいろんな人がまわりにいるな、とは思ってました。

人望の厚さを直視したのは『告別式』のとき。

雪の降る夜で、交通機関も乱れるような1日だったんだけど、参列者がとまらない。

あまりに多い参列者によって、

  1. 焼香の列が3列→5列に増加
  2. 焼香待ちの参列が外まで続き、雪の中待つ人が増加
  3. 終わらない焼香の列によってお経が終わってしまう
  4. お坊さんの『南無阿弥陀仏』部分のエンドレスリピート
  5. あまりの人数の多さに際立つ親族席のスカスカ感
  6. 人生で一度も見たことがない親族の増加

親族席に座ってた人の2/3をぼくは人生で見たことがありません。『誰?』レベルです。

  • 葬儀場に入れなくて外で待ってた人が溢れてた
  • たくさんの人が参列するって親父さん何者なの?

ぼくが知りたいです。クソ親父、あなたはいったい何者なんだ?

マスコミ業界で仕事をしていましたが、親父は高卒です。誰でも知っている有名な親会社を持っていますが、子会社勤務です。実際の会社は全然有名じゃありません。

さすがに唸りました。民放キー局の役員がきてるのを見たときは。しかも、本当に知り合いだったんだ。はやく言えよ。

参列者は500人以上

ぼくの葬式に500人もくるイメージは湧かない。

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あまりの人脈の広さ、つながりに圧倒的敗北を感じた瞬間。親父の背中は大きくて、そして高かった。生涯かけて超える壁になっちまったじゃねーか!大概にしとけよ!

【最後に…】親父と最後に交わした言葉「まだ死ねねぇよ」。ぼくも「まだ死ねねぇよ」。

大晦日に心筋梗塞になって、緊急手術。

年が明けて意識が戻ったとき、親父と交わした言葉。

「大丈夫。まだ死ねねぇよ」

この言葉を聞いて、ぼくは藤沢に帰りました。

『まだ死ねねぇよ』という言葉に力が込もっていたし、親父自身、まだやりたいことがあるのも知ってたから。

そう簡単には死なない。

それから1週間後に、心機能の異常が見つかって再手術。手術自体は成功しましたが、そのまま意識が戻らず他界。

  • 喫茶店をやりたい
  • 焼き鳥屋をやりたい

資格も免許も持ってない親父が話していた夢。定年を迎えたら絶対にやるって言ってました。

上司と喧嘩する度に「こんな仕事辞めてやる!」って言ってたクソ親父ですが、家族もいたし、なんだかんだ仕事が好きだったと思う。

定年を迎えるまでは仕事を辞めるつもりはなかっただろうし、定年後は本当に喫茶店を開いてたと思う。

その夢は叶わなかった。

ぼくが親父の背中を越えられるとしたら、

  • 自分の好きな仕事で
  • 家族を持っても守れるように

生きていく姿を見せることなんじゃないかって思う。

『好きなことで生きていく』って簡単なことじゃないし、収入だって会社員時代から激減した。

ただ、ぼくは自分にとっての衝撃的な出会いを通して、人生が変わった。

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いまは、自分の信じた道で生きていきたい。

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天国なのか地獄なのか、はたまた概念すら『無』なのか。クソ親父がどこにいるかなんてわかんないけど、残りの人生かけて背中越えて、「親父、見たか!」って胸張って言ってやりたい。

世の中は生きづらくて、死んだほうが楽なんじゃないかって思うこともあるけど

『まだ死ねねぇよ』

まだ死ねない。

その背中追い越すまでは、ね。

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