中尊寺金色堂より。”三代の栄耀、一睡のうちにして”〜松尾芭蕉の奥の細道に導かれて〜

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こんにちは、りむです。

ただいま日本一周中。岩手県といえば、奥州藤原氏の治めた国です。ここには奥州藤原氏が映画を極めた歴史、そして源義経公をかくまったことにより、滅ぼされるまでの歴史、さらには”奥の細道”により奥州紀行、松尾芭蕉が訪れた土地として有名です。

今回は、そんな世界遺産の”平泉”そして”中尊寺金色堂”に行ってきました。

とてもいい場所でした。平日のお昼でしたが、観光客もたくさんいて賑わっていました。



奥の細道とは?

奥の細道に関しての説明がまだでしたね。

おくのほそ道(奥の細道)は、芭蕉が崇拝する西行の500回忌にあたる1689年(元禄2年)に、門人の河合曾良を伴って江戸を発ち、奥州、北陸道を巡った旅行記である[1]。全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で東北・北陸を巡って、元禄4年(1691年)に江戸に帰った。
「おくのほそ道」では、このうち武蔵から、下野、岩代、陸前、陸中、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前を通過して旧暦9月6日美濃大垣を出発するまでが書かれている。曾良の随行日記も、没後数百年を経て曾良本とともに発見されている。

有名な俳人、松尾芭蕉さんが、門人”曾良”と一緒に、江戸(東京)から東北・北陸をぐるっとまわって美濃大垣(岐阜)まで150日間旅をした時の紀行文です。ところどころ俳句で情緒を謳っています。

現代でいうところの”日本一周ブログ”ですね。俳句は、ところどころで呟かれるツイッターといったところですね。

あれ、ってことは、ぼくは”平成の松尾芭蕉”ってことでいいんでしょうか?いいんです!

昔と違い、現代では、

  • 歩き→車
  • 地図→カーナビ
  • 俳句→ツイッター
  • 紀行文→ブログ
  • 俳人→廃人

と変化を遂げました。当時の旅の日数も、1/10の日数でまわることが可能になりました。芭蕉さん、予想だにしなかったでしょ?

奥の細道に出てくる”平泉”とは?

三代の栄耀一睡のうちにして、 大門の跡は一里こなたにあり。秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。

まづ高館にのぼれば、北上川南部より流るる大河なり。衣川は、和泉が城をめぐりて、高館の下にて大河に落ち入る。泰衡らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口をさし固め、夷を防ぐと見えたり。さても 義臣 すぐつてこの城にこもり、功名一時のくさむらとなる。国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠うち敷きて、時の移るまで涙を落とし侍りぬ。

夏草や兵どもが夢の跡

卯の花に兼房見ゆる白毛かな 曾良

かねて耳驚かしたる二堂開帳す。経堂は三将の像を残し、光堂は三代の棺を納め、三尊の仏を安置す。七宝散りうせて、珠の扉風に破れ、金の柱霜雪に朽ちて、既に頽廃空虚のくさむらとなるべきを、四面新たに囲みて、甍を覆ひて風雨をしのぎ、しばらく千歳の記念とはなれり。

五月雨の降り残してや光堂

奥州藤原氏は、清衡・基衡・秀衡の三代の時に最盛期を迎えます。が、源頼朝公の弟、源義経公が平泉に逃げて来た際、かくまったため頼朝公に滅ぼされてしまいます。

そんな栄華を極めた奥州藤原氏の平泉を訪れ、高館から北上川・衣川の眺め、そして金鶏山を眺め、当時あっただろう国に想いを寄せながら、一句詠みます。

”夏草や 兵どもが 夢の跡”

”かの昔、武士たちが栄華を極めんとばかりに戦い続けた場所も、木々が生い茂り、夢のように消えて無くなってしまったなぁ”と詠んだわけです。その際に思い浮かべた漢詩が”国破れて山河あり”ですね。

そして、奥州藤原氏ゆかりの寺、”中尊寺”を訪ね、金色堂を見てこう詠んだのです。

五月雨の 降り残してや 光堂”

金色堂を”光堂”と表現するあたり、芭蕉さんのセンスが光りますね。



松尾芭蕉に想いを馳せて、中尊寺を散策する

中尊寺といえば、

”五月雨の 降り残してや 光堂”

という句で有名な中尊寺金色堂にスポットがあたりがちですが、実は中尊寺は金色堂だけでなく。本堂、数多ある堂で構成されていて、散策しがいのあるパワースポットなんです。

金色堂だけでなく、他の堂に関しても紹介していきますね。

中尊寺の参道を散策する

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こちらの参道を金色堂に向けて登っていきます。月見坂です。急な坂道になっていますが、ところどころにカーペットが敷かれているので、雨の日でも滑る心配はありません。

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参道入口です。”関山中尊寺”と書かれています。

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”緑道の木漏れ日”とはこういう状況を指すのでしょうか?

ほどよい日差しが木々の中から注がれてくるため、とても気持ち良く参道を登ることができます。

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写真では伝わりにくいかもしれませんが、結構急な坂道です。行きは余裕ですが、帰りは結構怖いです。下のスピードが早いです。中学生〜高校生の元気いっぱい男子ははしゃぐので間違いなく転げ落ちます。修学旅行の際は気をつけて!

「下ります。坂道。いつも通りの朝」とか言ってる余裕はないです。

第一の堂”八幡堂”

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月見坂を登っていくと、一番初めに現れるのが八幡堂です。

八幡堂は”勝利祈願”の堂です。当時、鎮守府将軍と呼ばれた源頼義と子供の義家が安倍氏を倒すために、中尊寺で勝利祈願をしました。そのために建てられたのが八幡堂といわれています。

現代でも、”絶対に負けられない戦いがそこにはある”っていう人は、忘れずにお参りしておきたいですね。

第二の堂”弁慶堂”

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門をくぐると、

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”弁慶餅”なるものが売られています。

「弁慶餅ってなんだ?」

と疑問に思ったので、聞いてみたところ、

「”弁慶の力持ち”から取られた」

とのことでした。ダジャレでした。

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弁慶堂です。

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中には義経公と弁慶をカタチ取った像が祀られています。見えませんね。

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角度を変えて。少し見えやすくなったかな?

義経公と弁慶を祀るために作られた堂です。神奈川、湘南地区を生きてきたぼくにとって、鎌倉は近しい存在です。その鎌倉幕府で政権をとった頼朝公の弟義経公と右腕の弁慶。ふたりが祀られているというだけでなんだか感慨深いものがあります。

東物見からの眺め〜参拝途中編〜

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東物見から街を一望。松尾芭蕉が高館からみた欧州の景色と現代の景色。自然が多く残されているのは変わらないのかもしれません。

第三の堂”地蔵堂”

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地蔵堂は、その名の通り”地蔵が祀られている堂”です。

地蔵堂の後ろを流れる川は、ちょうど衣川と北上川が合流する地点です。義経公の最後の戦いである”衣川の戦い”が起こった場所です。義経公の最期をこれからもずっと見守り続けるという意味で建てられたのが地蔵堂なのかもしれません。

第四の堂”薬師堂”

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薬師堂には、その名の通り、薬師如来が祀られています。

かの昔、眼病に悩まされていた人々が頼ったのが、この薬師堂の薬師如来だったという説があります。

持病に悩む方はぜひ参拝してみてください。

第五の堂”中尊寺本堂”

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中尊寺の本堂入口です。

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中に入れます。無料です。

本堂には”阿弥陀如来”が祀られています。

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こちら本堂の側には、茶室があります。”茶室松寿庵”という名です。かの有名な経営者の松下幸之助さんが関わっていたようです。

第六の堂”峯薬師堂”

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こちらも眼病に悩む人々が参拝に訪れていたという堂です。

現代は、パソコンやスマホ、タブレット、携帯ゲーム機などによって目を悪くしたり、眼病を患ったりする人も増えているので、”薬師堂”と併せて参拝しておきたいですね。

第七の堂”不動堂”

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不動明王が祀られている堂です。

不動尊といえば、家内安全・身体健全・病気平癒・商売繁盛・受験合格・厄除開運にご利益がありますね。ぜひお参りしてお願いしておきましょう。

受験合格にもご利益があるので、修学旅行でくる受験生は忘れずに!そして、帰りの坂道ではしゃいで転げ落ちないように!

第八の堂”大日堂”

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大日如来の祀られている堂です。

ここまでくると、どこにどの如来がいるのか混乱してきますね。でもね、まだまだこれからです。

大日如来といえば、平安時代の密教で最高位の仏と定められた如来ですね。不動尊と並んで、本堂の近くに祀られているのも納得です。

現在・過去・未来を見据えてくれています。

過去に使われていた”鐘楼”

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今はもう使われていない鐘楼です。

近くで見たかったのですが、立ち入り禁止になっているため近寄れませんでした。残念。

宝物庫”讃衡蔵”

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讃衡蔵(さんこうぞう)は宝物館です。

歴史ある文化財や宝物が展示されています。金色堂の入場券とセットになっているので金色堂の入館券を購入すれば入れます。また、金色堂の入館券は讃衡蔵の前で購入することになってますので、通り過ぎないようにね!

讃衡蔵の中は撮影禁止のため、文化財や宝物の写真は撮れませんでしたが、歴史を感じる文書などが飾られており、中尊寺を知る上で非常に有意義な時間を過ごせました。

入口に入ると、すぐに”丈六仏”が3体お目見えです。約5mの仏像です。奈良の大仏・鎌倉の大仏を見てきたぼくでも、「でかっ」と思うくらいの仏像でした。

入館料は、金色堂と併せて800円です。決して高くないよ!

第九の堂”阿弥陀堂”

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阿弥陀如来が祀られている堂です。

この阿弥陀堂は、”縁結び”のご利益があると言われています。修学旅行中の中学生たちよ、ここでの祈願も忘れるな!ここで阿弥陀如来様にお願いして、今日の夜、気になるアノ子に告白だぞ!

第十の堂”弁財天堂”

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みなさんご存知。銭洗弁天です。弁財天さまが祀られています。七福神。

「お金持ちになりたい!」

っていう欲望むき出しで、お金に感謝しなさい。

宮沢賢治の詩碑

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金色堂に向かう道に、宮沢賢治の”賢治詩碑”があります。

宮沢賢治も岩手を代表する文豪。ここに祀られているのですね。”やまなし””イーハトーブの夢”懐かしい。小学生の時に国語でやったなぁ。

第十一の堂”金色堂”

やってきました。金色堂です。

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この道を登って、金色堂の中に入ります。中は撮影禁止のため、金色堂を撮影することはできませんでしたが、見た感想は

圧巻

これに尽きます。鳥肌が立ちました。

中では、場内アナウンスで、金色堂の説明をしてくれます。奥州藤原氏の三代がどこに祀られているのか、義経公がどこに祀られているのか。詳しく説明してくれます。

そんな説明すら耳に入ってこないほどの迫力。これは生で見てもらわないと、そして肌で感じてもらわないとわからないのかもしれません。

どこか、グッと掴まれるような感覚。昔の武人が、将軍・大将軍に対して感じた”覇気”みたいなものを金色堂から感じました。

松尾芭蕉が、金色堂のことを”光堂”と呼びましたが、今後も光以上の何か得体の知れない力は絶えることなく発されるのだと思います。

金色に輝く金色堂も美しいですが、それ以上の力を肌で感じてください!

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外に出ると、当時の岩手県知事の方が贈った石碑が。県庁、見てきましたよ!

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松尾芭蕉の句碑もありました。

第十二の堂”経堂”

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経堂は平安時代に創設された時の古材を用いて再建された堂とのこと。再建は鎌倉時代だそうです。

経堂に祀られていた菩薩は、現在讃衡蔵に奉納されています。

松尾芭蕉の銅像

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旧覆堂に向かう道中に現れるのが、松尾芭蕉の銅像。

奥の細道でこの地を訪れ、奥州藤原氏の三代の栄華に想いを馳せた松尾芭蕉も、同じようにして、中尊寺の堂を巡ったのだと思うと、時代は変わっても受け継がれる想いは変わらないなとひしひしと感じます。

第十三の堂”旧覆堂”

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旧覆堂は金色堂を風雪から守るために建立された堂とのこと。

全国屈指の豪雪地帯ですからね。(東北は8割の地域が豪雪地帯認定されています)

現在、金色堂を守る覆堂が建立されてから、こちらは旧覆堂と呼ばれるようになり、現在の場所に移設されたそうな。

松尾芭蕉が奥州紀行をしていた頃は、こちらの旧覆堂がまだ金色堂を覆っていた時代で、この旧覆堂の中で金色堂を見て、一句詠んだんですね。

そのため、松尾芭蕉像と句碑が近くに建てられているんだとか。

第十四の堂”釈迦堂”

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釈迦堂には釈迦如来が祀られています。

釈迦といえば、仏教の開祖として有名ですね。中尊寺の最後の堂は、仏教の開祖釈迦如来を祀った堂です。

ここまで参拝し続けてきた参拝客に、”仏教とは何か”と問いかけているようです。

白山神社の”能楽殿”

14堂を巡ったあとは、白山神社が待ち受けます。

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鳥居の横に大きく書かれた”野外能楽殿”の文字。

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歩みを進めていくと、社にたどり着きます。

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野外能楽殿です。平安時代、ここでは多くの貴族が夜な夜な集まり、能楽を見ながら和歌に興じていたことでしょう。

今も昔も、舞台のカタチは変わりませんね。叶うならここで一度能楽を見てみたかった。

ただ、どうしてもこの舞台を見た瞬間から頭の中に

”私以外私じゃないの 当たり前だけどね”

というフレーズが離れません。ゲスの極み乙女、やってくれたな!

※調べてみたところ、この舞台では例祭の際は神事能が奉納される(行われる)そうです。いまだ現役、素晴らしい!

※調べてみたら、白山神社には”茅の輪(ちのわ)”というのがあったようです。あったかなぁ?能楽殿で満足してちゃダメだっていうことね!少しのことにも先達は…とはこのこと。また中尊寺にくる口実ができました。

休憩は”かんざん亭”で!

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白山神社を抜けると、”かんざん亭”という休憩所があります。こちらではお蕎麦やうどん、イタリアンピッツアが楽しめます。由緒ある歴史を感じる中尊寺の最後にイタリアンピッツアというのがまたミスマッチでいいですね!気に入りました。

ですが、今回は、中尊寺の駐車場横にあるお店で昼食をとることにしていたので、お邪魔しませんでした。

次回来る時は必ず!

奥の細道展やってました!

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さぁ、下山です。

実は、本堂・金色堂を目指して参道を歩いている時に気になる場所があったのです。

それが”奥の細道展”です。参道からそれたところに奥の細道てんをやっている小屋があります。早速覗いてみましょう。

写真撮影は禁止とのことだったので、入口までです。

こちらはこじんまりしたお土産屋さんで、一室を使って奥の細道展を行っていました。入場料は100円です。

巻物や実際に書かれた紀行文が飾られています。また、どんな道筋をたどったのか、その辿った道で寄った場所の写真などが飾られています。見ているだけで同じように旅をした気分になれました。

渡辺謙さんが1993年の大河ドラマ、”炎立つ(ほむらたつ)”に出演した際に中尊寺を訪れた時にもらったというサイン色紙も飾られています。お店のおばさまからいろんな話が聞けるので、100円は安いですよ!絶対に行ったほうがいい!

東物見からの眺め〜参拝終了後編〜

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最後に。もう一度東物見から平泉の地を眺めます。

もし奥州藤原氏が義経公を匿うことをしなかったら、この栄華はもっと続いたのか?”国敗れて山河あり”という漢詩になぞられた情緒で松尾芭蕉が一句詠むことはあったのか?

きっと、それでも奥州藤原氏は滅ぼされていたでしょう。大きな力と栄華は朝廷・幕府からみたら脅威です。難癖つけられて攻め込まれていたでしょうね。

平家物語でも”たけき者も遂にはほろびぬ、偏(ひとえ)に風の前の塵に同じ。”と言ってますからね。

そんなことを考えながら、中尊寺参拝は終了です。




中尊寺は一度は行っておきたいスポット!

このように、中尊寺は金色堂だけではなく、多方面で楽しむことができるスポットです。

世界遺産に登録もされています。東北へお越しの際はぜひ一度お立ち寄りください!

最後に、駐車場側にある食事処の写真を添えて。

今回はこの辺で!

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